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 バグウェルは2001年に史上初の6年連続30本塁打&100打点&100得点&100四球を記録したアストロズの看板選手である。
 また、日本では野茂選手の天敵と言われ、ガニマタ打法は他に類を見ないスラッガーです。

 注:英文表記に慣れるため英語にて記載しております。英文文字にカーソルを当てると日本語訳が出ます。

 【5】 ジェフ・バグウェル [ Jeff Bagwell ][ Full Name = Jeffrey Robert Bagwell ]
 [ 一塁手 右投げ/右打ち ][ メジャーデビュー91/04/08 ][ 誕生日68/05/27 ][ 出身:マサチューセッツ州 ]
Year Team Org. Level G AB AVG HR RBI SB R H 2B 3B BB SO SLG Salary
1989 GCL Redsox (GCL) BOS Rk 5 19 .316 0 3 0 3 6 1 0 3 0 .368
1989 Winter Hvn (FSL) BOS A+ 64 210 .310 2 19 1 27 65 13 2 23 25 .419
1990 NewBritain (East) BOS AA 136 481 .333 4 61 5 63 160 34 7 73 57 .457
1991 Houston Astros HOU MLB 156 554 .294 15 82 7 79 163 26 4 75 116 .437 $100,000
1992 Houston Astros HOU MLB 162 586 .273 18 96 10 87 160 34 6 84 97 .444 $350,000
1993 Houston Astros HOU MLB 142 535 .320 20 88 13 76 171 37 4 62 73 .516 $655,000
1994 Houston Astros HOU MLB 110 400 .368 39 116 15 104 147 32 2 65 65 .750 $2,400,000
1995 Jackson (Tex) HOU AA 4 12 .167 0 0 0 0 2 0 0 3 2 .167
1995 Houston Astros HOU MLB 114 448 .290 21 87 12 88 130 29 0 79 102 .496 $6,875,000
1996 Houston Astros HOU MLB 162 568 .315 31 120 21 111 179 48 2 135 114 .570 $4,875,000
1997 Houston Astros HOU MLB 162 566 .286 43 135 31 109 162 40 2 127 122 .592 $8,015,000
1998 Houston Astros HOU MLB 147 540 .304 34 111 19 124 264 33 1 109 90 .557 $7,945,000
1999 Houston Astros HOU MLB 162 562 .304 42 126 30 143 171 35 0 149 127 .591 $6,500,000
2000 Houston Astros HOU MLB 159 590 .310 47 132 9 152 183 37 1 107 116 .615 $6,500,000
2001 Houston Astros HOU MLB 161 600 .288 39 130 11 126 173 43 4 106 135 .568 $6,500,000
2002 Houston Astros HOU MLB 158 571 .291 31 98 7 94 166 33 2 101 130 .518 $11,000,000
2003 Houston Astros HOU MLB 160 605 .278 39 100 11 109 168 28 2 88 119 .524 $13,000,000
2004 Houston Astros HOU MLB 156 572 .266 27 89 6 104 152 29 2 96 131 .465 $16,000,000
2005 Coprus Chr (Tex) HOU AA 3 9 .222 0 1 0 1 2 0 0 3 3 .222
2005 Houston Astros HOU MLB 39 100 .250 3 19 0 11 25 4 0 18 21 .380 $18,000,000
2006 Houston Astros HOU MLB - - .--- - - - - - - - - - .--- $19,369,019
Year Team Org. Level G AB AVG HR RBI SB R H 2B 3B BB SO SLG
Major League Totals (15Season) 2150 7797 .297 449 1529 202 1517 2314 488 32 1401 1558 .540
Story of Bagwell
アストロズの重量打線“キラービーズ( Killer B's )”の一人。※キラービーズは、相手投手に強烈に襲いかかることから、アメリカに実在する「殺人蜂」をもじった名称で、名前に「B」が付く選手の事。

また、あの独特の「がに股打法」はバグウェルだけの特徴でストライクゾーンが非常に狭くなり、相手ピッチャーからは大変な驚異となる。(死球を怖がらないかわりに左手骨折が3度ある)

バグウェルは、マサチューセッツ州のボストン出身。レッドソックスファンの家庭に生まれ、憧れの選手は「最後の三冠王」と言われるカール・ヤストレムスキー外野手。1989年のドラフトで、念願のボストン・レッドソックスから4巡目指名(全体109番目)され、プロの道へと進みました。

1989年は、ルーキーリーグとシングルAでプレイし、共に3割を超える好成績。翌年1990年には2Aで活躍。打率.333、ヒット160本、2塁打34本というリーグトップの成績だったが、8月31日に突如アストロズ行きの知らせがバグウェルを襲いました。かつてレッドソックスは、金銭トレードでベーブ・ルースを放出して以降、2004年まで86年間1度も世界一になっていない悲劇があったが、このバグウェル放出はベーブ・ルース放出以来の悲劇とも言われています。また、代わりにトレードされたのは、前年とシーズン中の防御率が1点台と安定していたラリー・アンダーセン投手でした。

新人ながら開幕ロスター入りを果たし、メジャーデビューをした1991年には、新人王を獲得。翌年からも成績が上昇して行きましたが、1993年にシーズン終盤20試合を残した状態で、左手に死球が当たり、骨折を経験してしまった。

そして迎えた1994年、この年惜しくもストライキが起きてしまうのだが、バグウェルの方は自身初のオールスターに出場、シルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞の獲得と共に、打点118で打点王に輝いた。また、同年8月12日に再び左手に死球を受け骨折しまうのだが、その2日後にストライキが決行。この年110試合ながら打率.368、39本塁打、15盗塁の好成績で、ナショナルリーグ史上3人目となる満票でのMVPを獲得いたしました。

1995年7月30日、三度左手を骨折。結局114試合しか出場することが出来ず厳しい1年となった。

1996年には、2度目のオールスターに出場。162試合全てに出場を果たし、球団史上6人目の『20−20』(20以上の本塁打と盗塁)を記録することが出来ました。その翌年も162試合に出場し、2年連続でオールスターにも出場し、2度目のシルバースラッガー賞も受賞。この年は、球団史上初となる『30−30』クラブ入りを果たし、ポストシーズンも経験。しかし、アトランタ・ブレーブスとのディビジョンシリーズでは、3試合でわずか1安打しか打てず、打率.083、5三振と、レギュラーシーズンとはかけ離れた活躍を見せてしまいました。

1998年も、チームはポストシーズンに進出。パドレスとの対戦となったのだが、結果は1勝3敗、バグウェルは14打数2安打で、打率.143とまたもや低迷し、1勝3敗で敗れてしまいました。

1999年は、打率.304、42本塁打、126打点、30盗塁と大活躍を果たし、4度目のオールスター出場、シルバースラッガー賞を獲得。この年も『30−30』クラブ入りを果たしています。そして3年連続で、チームはポストシーズンに進出。再びブレーブスとの対戦となりましたが、13打数2安打で、打率.154と悪夢が繰り返されてしまい1勝3敗で敗戦。それが響いたのか、残念ながらこの年のナショナルリーグMVPは、アトランタ・ブレーブスのチッパー・ジョーンズ3塁手が獲得し、バグウェルが2位となり、2度目のMVP獲得とはならなかったが、ヒューストン・アストロズのプレイヤー・オブ・ザ・イヤーを獲得する事ができました。

アストロドームが老朽化し、天然芝を使った新球場となった2000年、自身の記録更新となる47本塁打を記録。チームのポストシーズン進出はなりませんでしたが、この年もアストロズのプレイヤー・オブ・ザ・イヤーを獲得いたしました。

2001年で、史上初の6年連続30本塁打&100打点&100得点&100四球を記録したバグウェル。チームもカージナルスと同率で地区優勝を果たし、ポストシーズンに進出。7打数3安打5四球で、打率.429と活躍するも、宿敵ブレーブスの前に負けてしまいました。1997年からアストロズの監督をしてきたラリー・ダーカー氏と過ごした5年間で、4度のディビジョンシリーズ出場での成績が、トータルで46打数8安打、打率.174、4打点、12四球、16三振と、バグウェル自身が脂の乗った時期にあったチャンスを生かすことが出来ませんでした。

右肩の痛みに悩まされ続けた2001年のオフには、手術を決行しました。そして、アストロズと大型の5年契約を結びました。バグウェルが5年契約をした際にジェリー・ハンシッカーGMは、「最近少し問題だと思うのは、本拠地で活躍してきた選手たちがたくさん、他チームへ移籍してしまうことなんだ。だから、バグウェルがチーム残留を決めてくれたってことは、メジャーの歴史にとって意味あることだよ。あれだけの選手が他からの誘いを断って、うちに残る道を選択してくれたんだからね。」と安心した様子で語りました。
ヒューストンに骨をうずめる覚悟をしたバグウェルは「このチームに来てもう10年さ。これは僕にとって大きいよ『ヒューストン・アストロズと言えば、クレイグ・ビジオ(二塁手)にバグウェルだ』とファンが言ってくれるのがなによりも嬉しいよ」と語る。
バグウェルの契約後アストロズは、バグウェルのよき友人でもあるブラッド・オースマス捕手もデトロイト・タイガーズから獲得した。

2002年は手術のリハビリを終え、開幕からスタメン出場。順調にシーズンを過ごしてたかに思われたが、この年の6月に元チームメイトであり親しい友人でもあるダリル・カイル投手の死という衝撃が彼を襲いました。親友を失ったバグウェルは非常に悲しみ、打ち拉がれました。
翌年2月には、カイル氏のような品位・人望・功績のある選手から選出される「ダリル・カイル賞」が設立され、バグウェルが受賞しています。

 >>> ダリル・カイル投手の記事(ASTROS J STYLE NEWS)

2003年4月26日、バグウェルはモントリオール・エクスポス戦で、2000本安打を達成しました(アストロズ史上ビジオに次ぐ2人目)。さらに同年7月20日には、メジャー史上35人目の通算400号ホームランを達成しました。

2004年は、右肩の痛みと闘いながら156試合に出場。同年9月18日には、メジャー史上29人目となる、通算1500打点&1500安打を達成。しかも、この日の試合で通算444号本塁打も放ちチームに貢献した。また、ワイルドカードで進出したこの年は、球団創立以来43年目にして、初のリーグチャンピオンシップに進出。ディビジョンシリーズは、天敵のブレーブスから2本塁打を放つ活躍で3勝2敗と破り、対戦となった同地区のセントルイス・カージナルス戦は、3勝3敗と最終戦までもつれ込み、クレメンスを攻略したカージナルスに軍配が上がりました。この年のワールドシリーズは、バグウェルのファンだったボストン・レッドソックスが、86年ぶりの世界一で「バンビーノの呪い」を解いた年となりました。

肩の痛みが取れずに突入した2005年。5月10日にDL入りし、今後もアストロズで野球をするために右肩の手術を決断した。最低3ヶ月以上の戦線離脱となるのだが、手術を決めガーナー監督とパープラGMに報告した際に、「遠征費用は自分で負担するので、故障者リスト入りしても、チームに帯同することを許してほしい。チームのためにできることがあれば、何でも協力させてもらいたい」というお願いを快く聞き入れてもらった。そして、リハビリをしながらチームと帯同し、若手にアドバイスなども送っています。

そんなバグウェルの行為が功を奏したのか、なんとか9月9日に戦列に復帰し、16日のブリュワーズ戦で、9回に代打で登場したバグウェルが放った復帰初安打が決勝打となり、0.5ゲーム差のワイルドカード首位をキープさせました。そして、最終戦に勝利を収め、熾烈なワイルドカード争いに勝ち、6度目のポストシーズン進出を果たします。

ディビジョンシリーズでは、またもや宿敵ブレーブスと対戦。2勝1敗と王手の4戦目には、プレーオフ史上最長となる延長18回となり、新人バークがサヨナラ本塁打を放ったのも記憶に残りました。更にナショナルリーグチャンピオンシップで、同地区最大のライバルであるカージナルスと対戦し、4勝2敗で勝利したアストロズが、球団創立44年目で「ナショナルリーグチャンピオン」となり、初のワールドシリーズ進出を果たしました。

バグウェル、ビジオの共通の目標であったワールドシリーズチャンピオン。夢の舞台にバグウェルも出場した。しかし結果は、まさかの0勝4敗でホワイトソックスに88年ぶりの王座を渡してしまった。ワールドシリーズでのバグウェルの成績は、8打数1安打1得点の成績でした。

2006年は、手術した肩の具合が思わしくなく、アストロズは功労者に苦渋の決断をする事となる。この年は5年契約の最終年で、年俸は約1900万ドル(約21億円)となる。球団はあやうる可能性を考え、今季選手として活躍が可能かどうか、ジェームズ・アンドリュー医師に検査を依頼。チームのメディカルディレクターであるデビット・リントナー氏が、バグウェルの右肩はプロ選手として限界に達していると判断し、保険会社へ保険金のの請求を行うこととなりました。そして、プレイできないと判断され事実上の戦力外とみなされてしまいました。

バグウェル自身は、チームに貢献したいという気持ちからスプリングトレーニングに参加。次のようなコメントもしている。「チームが保険で身を守ろうとしているのは理解できる。でも、スプリングトレーニングに行く権利を与えられるべきだと思うよ」。みんなが復活を願っていましたが、残念ながら開幕はDL入り。結局1試合もプレイすることが出来ず、復活が無理と判断したアストロズは、契約オプションを破棄することとなり、2006年12月15日に現役引退を発表した。

そして、2007年からは、チームのアドバイザースタッフとしてアストロズに関わることとなりました。

バグウェルの憧れだった、「最後の三冠王」カール・ヤストレムスキー外野手は、23年間ボストン・レッドソックス一筋だったが、それと同じくバグウェルもメジャーでアストロズ一筋に生き、同じ精神を持ち合わせていたと思われます。また、ヤストレムスキーの背番号「8」はレッドソックスで永久欠番となっており、バグウェルの「5」は、アストロズで永久欠番が決定しました。

家族は、妻エリカ夫人[ Ericka ]と娘のブライス・アリシア[ Bryce Alycia ]とブレイク・アレクシア[ Blake Alexia ]。




【ジェフ・バグウェルの記録】
■新人王

■打点王

■MVP

■ゴールドグラブ賞

■シルバースラッガー賞



■オールスター




■チーム


■ダリル・カイル賞


1991年 ナ・リーグ ルーキー・オブ・ザ・イヤー [ ヒューストン・アストロズ ]

1994年 118打点 [ ヒューストン・アストロズ ]

1994年 ナ・リーグ MVP (満票での獲得) [ ヒューストン・アストロズ ]

1994年 1塁手 [ ヒューストン・アストロズ ]

1994年 1塁手 [ ヒューストン・アストロズ ]
1997年 1塁手 [ ヒューストン・アストロズ ]
1999年 1塁手 [ ヒューストン・アストロズ ]

1994年 1塁手 [ ヒューストン・アストロズ 開催地:スリーリバーススタジアム ]
1996年 1塁手 [ ヒューストン・アストロズ 開催地:ベテランズスタジアム ]
1997年 1塁手 [ ヒューストン・アストロズ 開催地:ジェイコブスフィールド ]
1999年 1塁手 [ ヒューストン・アストロズ 開催地:フェンウェイパーク ]

1999年 [ ヒューストン・アストロズ プレイヤー・オブ・ザ・イヤー ]
2000年 [ ヒューストン・アストロズ プレイヤー・オブ・ザ・イヤー ]

2003年 [ ヒューストン・アストロズ ]


※ダリル・カイル賞(Darryl Kile Award)・・・ベースボールライターズアソシエイション(Baseball Writers Association)が、毎年行われるベースボールディナー(賞を発表したりする場)で、故ダリル・カイル氏を偲んで2003年から設立。ダリル・カイル賞は投票で決められ、カイル氏のような品位・人望・功績のある選手から選出される賞です。












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