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 初めてメジャー大成功を納めたパイオニア。ロサンゼルスには「ノモマニア」がたくさんいる。

 注:英文表記に慣れるため英語にて記載しております。英文文字にカーソルを当てると日本語訳が出ます。

 【10】 野茂英雄 [ Hideo Nomo ][ Full Name = Hideo Nomo ]
 [ 先発投手 右投げ/右打ち/34歳 ][ メジャーデビュー95/05/02 ][ 誕生日68/08/31 ][ 出身:大阪府大阪市]
  Team ERA W L SV G GS CG SHO IP H R ER HR BB SO
1990 近鉄 2.91 18 8 0 29 27 21 2 235.0 167 87 76 - 109 287
1991 近鉄 3.05 17 11 1 31 29 22 4 242.1 183 92 82 - 128 287
1992 近鉄 2.66 18 8 0 30 29 17 5 216.2 150 73 64 - 117 228
1993 近鉄 3.70 17 12 0 32 32 14 2 243.1 201 106 100 - 148 276
1994 近鉄 3.63 8 7 0 17 17 6 0 114.0 96 55 46 - 86 126
日本通算 - 3.15 78 46 1 139 134 80 13 1051.1 797 413 368 - 588 1204
1995 LOS 2.54 13 6 0 28 28 4 3 191.1 124 63 54 14 78 236
1996 LOS 3.19 16 11 0 33 33 3 2 228.1 180 93 81 23 85 234
1997 LOS 4.25 14 12 0 33 33 1 0 207.1 193 104 98 23 92 233
1998 LOS 5.05 2 7 0 12 12 2 0 67.2 57 39 38 8 38 73
1998 NYM 4.82 4 5 0 17 16 1 0 89.2 73 49 48 11 56 94
1998 合計 4.92 6 12 0 29 28 3 0 157.1 130 88 86 19 94 167
1999 MIL 4.54 12 8 0 28 28 0 0 176.1 173 96 89 27 78 161
2000 DET 4.74 8 12 0 32 31 1 0 190.0 191 102 100 31 89 181
2001 BOS 4.50 13 10 0 33 33 2 2 198.0 171 105 99 26 96 220
2002 LOS 3.39 16 6 0 34 34 0 0 220.1 189 92 83 26 101 193
2003 LOS 3.09 16 13 0 33 33 2 2 218.1 175 82 75 24 98 177
一部データが抜けていることをお詫びいたします

【 年棒:2年契約[2002〜2003]=1325万ドル(15億9000万円)/1年平均:662万5000ドル(7億9500万円) 】

野茂は成城高校時代の1985年7月19日、彼が2年生の夏の甲子園大会(大阪府予選第2回戦)の対府立生野高校戦で完全試合を記録した。このとき野茂は104球で10奪三振であった。

そして、1987年に新日鐵化学に入社。チームとしては新日鉄堺に所属し1988年の第59回都市対抗野球大会に出場した時は、1回戦の対NTT東京戦で完投、2回戦の大昭和製紙戦では延長17回の末完投(14奪三振)して、都市対抗野球で優秀な成績を収めた人に送られる若獅子賞に受賞した。さらに、ソウルオリンピックに出場し銀メダルを獲得し、プロ野球の間で大注目を浴びることとなる。

1989年のドラフトで、当時史上最多の8球団(阪神・横浜・ヤクルト・ダイエー・ロッテ・日本ハム・オリックス・近鉄)から指名され、パンチョ伊東氏の「第一回選択希望選手、○○(球団名)、野茂英雄、投手、新日鉄堺」を連呼させた。抽選を引いた当時近鉄の監督だった仰木彬氏は最後に余ったくじを最後まで開かずにいたが、他の球団代表がすべて残念な雰囲気を出しそれに気付いた仰木監督が封を開けたら当選だったという仰木マジックを披露していた。

近鉄と契約をした野茂は、契約金1億2000万円,年俸1200万円という破格の契約を行い、さらに投球フォームの改造を一切行わないという条件も契約内容に入れていた(日本では初)。

型にはめるのが好きな当時の日本プロ野球は、野茂の投球フォームに関してかなりの批判をしていたが、仰木監督は一切聞き入れず野茂の独自のトレーニング法で調整させていた。野茂はそれに応え1年目から大活躍し、最多勝,最優秀防御率,最多奪三振,新人王,沢村賞などを獲得した。

以降順調に成績を収めていった野茂だが、1994年に肩の故障で8勝7敗に終わり、昔ながらの頑固な鈴木監督と衝突し球団の不満をぶちまけ、任意引退を申し出メジャー挑戦をする。

今でこそ普通だが、当時のメジャー挑戦というのはその時日本人メジャー選手が誰もいなく、日米野球でもパワーの違いを見せつけられていた頃で成功を懸念する考えの評論家が多かったが応援するファンも多かった。

そして1995年ドジャースと契約し、メジャー選手としてマウンドに上がった。日本人選手のメジャー出場は村上雅則(マッシー村上)選手以来30年ぶりの事であった。

メジャーでも野茂のトルネード投法はびっくりされ、次々と三振を奪う野茂に観客は沸いた。スタンドでは三振を意味する「K」のプラカードを出したり、野茂旋風を巻き起こした。そして、1年目の6月に6勝0敗,防御率0.89という成績を残し初の月間MVPにも選ばれ、13勝6敗でナショナルリーグ新人王を獲得し、オールスターにも出場した。

1996年にはなんと、対ロッキーズ戦で自身初のノーヒットノーランを達成し、試合を行ったロッキーズの本拠地クアーズフィールドは標高1600メートルの高地にあり、投手の投げる球は曲がりにくく打者の打った球は通常より飛んでしまうのだ。ここでのノーヒットノーランは不可能と言われていたが、野茂が初の選手となった。

1997年4月25日のフロリダ・マーリンズ戦でMLB史上最速の通算500奪三振を記録(IP 444.1)し、66試合目での達成は、ドワイト・グッデン選手の61試合に次ぐ2番目の記録だ。さらに、8月28日のアスレチックス戦では3年連続の200奪三振を記録し、デビューから3年連続で200奪三振を記録したのは、初がドワイト・グッデン選手で2番目が野茂だ。しかし、野茂は10月に右肘の遊離軟骨除去手術を受け、その後調子が崩れていく。

1998年は、日本人初の投手ホームランを4月28日のミルウォーキー・ブリュワーズ戦でホゼ・メルセデス投手から左翼スタンドへ運んだ。その後野茂は、思いがけない自身の不調とオマリー一族から巨大企業のフォックスへとオーナー権が移ったことで、自らトレードを申し入れてメッツに移籍する。

1999年にFAとなった野茂は、シカゴ・カブスとマイナー契約を結び3Aで登板するも昇格を巡るトラブルで再びFAとなり4月にミルウォーキー・ブリュワーズと契約。しかし、この契約はメジャーリーグの年俸最低保証の20万ドルをわずかに上回るだけの25万ドル(約3000万円)で、「メジャーのマウンドで投げたい」という思いからこの契約となった。そして、2000年にデトロイト・タイガースに移籍し、4月3日タイガーズ創設100年目の記念すべき開幕戦で、初の開幕投手を勤めた。

更に2001年はレッドソックスに移籍し、レッドソックスでの初先発となる4月4日の対オリオールズ戦で、ボルチモアのカムデンヤーズ球場が試合開始1時間半前に突如停電となり、試合予定の午後7時5分になっても試合が始まらなく、開始予定の43分後に試合開始となった。オープン戦不調の野茂だったが、この日抜群のファストボールと切れのあるフォークで、6回からは5連続三振を奪うなど申し分のない投球内容だった。迎えた9回1アウトでボーディックが打った二遊間の頭上を越えていく当たりは、セカンドのランシングがダイビングキャッチのファインプレー。最後の打者をレフトフライに抑え2度目のノーヒットノーランを達成した。この試合は3−0と緊迫した試合で、野茂の投げた球数は110球で三振11の四球が3つだけであった。ナショナル,アメリカン両リーグでノーヒットノーランを達成したのはサイ・ヤング,ジム・バニング,ノーラン・ライアンに次いで史上四人目の快挙であった。 また、2001年は久々のタイトルとなる220奪三振で2度目の奪三振王となった。

2002年古巣ドジャースに戻った野茂はエースとして活躍し自身の記録に並ぶ16勝を挙げた。また、パドレス戦で4年ぶりの通算2本目のホームランを左翼ブルペンに放った。同点でのこのホームランにファンは野茂が1周してもカーテンコールは止まなかった。この日はジャイアンツとワイルドカード争いの真っ最中で、試合の無かったジャイアンツに焦りを感じさせ、トレーシー監督も「ヒデオを代打で使うことも考えてみるよ」とジョークを飛ばしていた。また、9月1日のアストロズ戦に登板した野茂はこの日メジャー8年目で全30球場登板を達成した。

この年野茂は、独立リーグのエルマイラ・パイオニアーズを買収し、実質上のオーナーとなった。これは、野茂英雄,伊良部秀輝,鈴木誠の3選手を中心とした日本人グループがパイオニアーズの球団株式の51%を買収したもの。野茂は、以前から「日本人選手がアメリカで野球するチャンスを広げたい」との願望を持っていたようで、なんともうれしい事をする人である。

2003年は、3年ぶりに開幕投手に指名されランディ・ジョンソンと投げ合い、みごと完投勝利で開幕を飾った。さらに、4月20日のジャイアンツ戦に先発登板し、ボンズ,ガララーガにホームランを打たれるも、打線が援護し、ついにメジャー通算100勝を達成した。


【野茂英雄・メジャーでの記録】
■奪三振王
 
1995年 SO 236 [ ロサンゼルス・ドジャース ]
2001年
SO 220 [ ボストン・レッドソックス ]
■新人王
1995年 [ ロサンゼルス・ドジャース ]

■ノーヒットノーラン
1996年9月17日 ロッキーズ戦(9-0) [ ロサンゼルス・ドジャース ]
2001年4月 4日 オリオールズ戦(3-0) [ ボストン・レッドソックス ]

■投手本塁打
1998年 ブリュワーズ戦 [ ロサンゼルス・ドジャース ]
2002年 パドレス戦 [ ロサンゼルス・ドジャース ]


【野茂英雄・日本での記録】
■MVP
 
1990年 防御率 2.91 18勝8敗 287奪三振

■最多勝
1990年 18勝8敗
1991年
17勝11敗
1992年
18勝8敗
1993年
17勝12敗

■最優秀防御率
1990年 防御率 2.91

■最高勝率 1990年 

■最多奪三振 1990年 287奪三振
1991年
287奪三振
1992年
228奪三振
1993年
276奪三振

■沢村賞
1990年 

■新人王
1990年

■ベストナイン
1990年




最初は背番号16でした


古巣復帰後は背番号10


野茂バッティング


バッティング強化のランニング
(違いますw)


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「野茂英雄ワールドシリーズベースボール」


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