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 [2002/06/23]■ショック!カージナルスのダリル・カイル投手が突然死!!


【イリノイ州シカゴ】

この日アメリカ全土に衝撃が走った。セントルイス・カージナルスのダリル・カイル投手(33歳)が、遠征先のホテルの部屋でベッドに横たわったまま死亡していたことが明らかになった。なお、この日に行われる予定のカージナルス対シカゴ・カブスの一戦はセリグ・コミッショナーの判断で、その死がチーム関係者に与える影響の大きさを考慮して急遽中止となった。

(7月16日に病名が米司法当局より発表されました)
カイルの病名は、冠状動脈のアテローム性動脈硬化症(動脈硬化)の自然死と診断されました。薬やステロイド系の薬物使用が原因でないとも診断されました。


中止が決定したリグレー・フィールドでは、試合開始予定時刻を25分ほど過ぎた頃、ホームチームであるカブスを代表してベテラン捕手ジョー・ジラルディから場内の観衆に悲劇が伝えられた。現カブス監督で、コロラド・ロッキーズ時代にはカイルの上司でもあったドン・ベイラーは「(ボールがよく飛ぶと言われるコロラドの)高度のことで愚痴をこぼすようなことは一度としてなかった。彼は誰もが一緒にプレーしたがるような最高のチームメイトだったよ」と在りし日のカイルを振り返っている。

カイル氏の死因は現段階では不明だが、23日に検死を行い究明する模様。カージナルスGMのウォルト・ジョケッティ氏の話によると、この日の試合の2時間前になってもカイルは姿を見せず、ホテルのセキュリティーが部屋に入って調べたところ、ベッドに横たわっているカイルの死体が見つかったという。
チームドクターによると、同投手に心臓病などの病歴はなかったが、父親が40代半ばで心臓発作で死亡している。23日の司法解剖で詳しい死因を調べる。

カージナルスのセキュリティースタッフは「(カイルは)昨晩眠りについたあと、そのまま目を覚ますことはなかったようだ」と語り、部屋が荒らされた様子はなく、何らかの事件に巻き込まれた形跡もないとのこと。トニー・ラルーサ監督は「カイルほどチームにとって大きなリーダーはいなかった。とにかく今は動揺している」とかろうじて話すのがやっとという状態だった。

ジョケッティGMは「セントルイスにとって悲しい日々が続いている。(カージナルスの実況を45年以上も務めた名アナウンサー)ジャック・バックが他界し、さらにカイルにこのような悲劇が起きるとは」とコメントしている。


アストロズ時代のカイル氏
カイル投手は、アストロズ→ロッキーズ→カージナルスと移籍し、過去に3度のオールスター出場。2000年の成績は、20勝9敗、2001年は16勝11敗とベテランエース級の活躍をみせ、今季は14試合に先発し、5勝4敗防御率3.72という成績で23日のカブス戦に先発する予定だった。

[ Darryl Kile ] メジャー通算成績 [ 133勝119敗 防御率4.12 オールスター出場3回 ]

>>ダリル・カイル投手成績 (今回の弔意に、彼のメジャーリーグに対する功績を敬意し急遽作成)

そして、この日アストロズの選手及びスタッフは悲しみました。

カイルは、1987年6月のドラフトでアストロズの指名(第30ラウンド)により、メジャーリーグ入りを果たしました。
メジャーデビューは、1991年のシンシナティ・レッズ戦で、1987年〜1997年の10年間をアストロズで活躍しました。


そして、1993年9月8日の対メッツ戦でノーヒット・ノーラン(アストロズ史上9人目)を達成いたしました。その4年後には、アストロズを地区1位に導く成績(19勝7敗、防御率2.57、三振205)を修めました。

そしてこの日、アストロズのゼネラル・マネージャー「ゲーリー・ハンシッカー」と球団所有者「ドレイトン・マクレーン」は記者会見で話しました。

「このような状況で言う適切な答えはありません」とハンシッカーGM。

「彼に対しての無力さを感じます。ダリルは、明らかにこの偉大な年(1997年)にアストロズの組織に対し特に熱心に話をし、何回かのやりとりをしました。そのまま、ヒューストン・アストロズのメンバーとして契約延長をするつもりのようでした。しかし、この契約はまとまらずフリーエージェントとしてロッキーズに移籍する事となりました。

ドレイトン・マクレーンは、
ダリルは、アストロズで育ち、ヒューストンに多くの友達がバックにいます。

「ダリルは親切で温和で、思慮深い家族思いの人でした」と・・・


試合前にカイル氏の敬意を評し、時間をとりました。
左から旧友のビジオ、オースマス、バグウェル、ハンター
「ものすごい将来性のあるグレートアスリートでした。私は、ここであった偉大な記録を思い出します。それは、1993年の9月に、ダリル・カイルがニューヨーク・メッツに対してノーヒット・ノーランを投げたときです。」

「私たちは非常に悲しませられます。関わってきた沢山のプレイヤーとマイナーリーグの選手。何年も彼と関わった組織や選手達ももう、関係を持つことが出来ません」

ハンシッカーGMは、「私は、彼のことを忘れないでしょう。私が最初にここに来た時(1995年11月)、ダリルは実際に奮闘して、送られたトリプルAで過ごした年から戻ってきた時のことを」

本日、アストロズの本拠地「ミニッツメイド・パーク」で行われたインターリーグ・マリナーズ戦では、今回の訃報を受けて急遽試合前の打撃練習を中止し、元チームメイトで最も親しい友人の1人であったジェフ・バグウェル、クレイグ・ビジオ、ブラッド・オースマスを先発から外した。
試合は、2対2の同点で迎えた12回裏、アストロズはマリナーズの5番手、ジョン・ハラマを攻めて1死満塁とすると、出場をさせるつもりが無かった3人の内、主砲バグウェルが代打で登場し、2B-2Sからの5球目をライト前に落とし、三塁ランナーをホームに返すサヨナラヒット。この勝利を故ダリル・カイル氏に捧げたのは言うまでもないであろう。

ゲームが終了した瞬間、バグウェルは涙をこぼし気落ちし言葉を出すことが出来ませんでした。そして、13年ぶりに、ゲームの後にメディアに答えることはありませんでした。
クレイグ・ビジオは、このニュースに茫然としました。「私は、今日良い友達を失いました。私は、友達を失いました。また、私はチームメイトを失いました」と悲しみを抑えた声で答えました。
ブライアン・ハンターは、ニュースを聞かされたとき、かなりの衝撃を受けました。「私はそれを信じることが出来ません。このことが真実じゃないと思いたい」と話しました。

そして、試合中のアストロズのダッグアウトには、カイルが在籍時に着用していたユニフォームが掲げられていた。
ビジオはこう言った。「私は、彼が今そこで立って微笑んでいると信じています。彼は私の友達です...また、私は彼のことを思い出して寂しくなり泣きそうです 。」と・・・


ありがとう、名投手ダリル・カイル。
惜しくも亡くなられたダリル・カイル氏のご冥福をお祈りいたします。




※管理人の語学力不足な翻訳のため、多少・・・いや、かなりおかしな所がありましてもご了承願います。m(._.)m

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